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2014年3月11日 (火)

初代・高橋竹山を聴く

佐々木幹郎 『東北を聴く 民謡の原点を訪ねて』 (岩波新書) を読んだ。

「牛方節」「斎太郎節」「新相馬節」……。土地に生まれて根づいた唄に、人々はどんな思いを込めてきたのか。時代を経て人々に口ずさまれる中で、唄はどのような変容をとげてきたのか。詩人が、津軽三味線の二代目高橋竹山とともに、東日本大震災の直後に被災地の村々を行脚した稀有な旅の記録。

この中に初代(高橋竹山)の印象的な言葉が載っている。

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 一つの音楽という、その曲の魂を、もっとその奥ふかい落ち着いた気分の曲を聴く耳をもってもらわれねえものかな。走って走って、剣道でもやるみたいな曲ばかりいいんじゃなく、ゆっくりしたものの方が面倒なんです。(中略)速い曲というものはごまかしもできる。そうでなくて、糸一本一本に心の一端を表現している曲が一番面倒なんだよ、(中略)糸一本一本に音色を入れるのは、言葉で表したり、ものをしゃべるだけのものがあるんだ。それがいちばん面倒なんだ。(中略)糸がものをしゃべってるんだから、それを聴く耳というものもほしいんだねえ。やる方も、どうでもにぎやかにと、糸切れんばかりに叩く者もいるが、そればかりではしょうがないねえ。 (佐藤貞樹 『高橋竹山に聴く』)

 津軽三味線がブームになって、若い三味線弾きが撥を激しく、叩きつけるようにして早く弾く、そういう演奏技法を競うようになった時期、その風潮を批判したことばである。観客の心をつかみ、その身体に入り込むような津軽三味線の音色は、実はゆっくりした曲のなかにある。

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無性に初代の三味線が聴きたくなった。

特選 高橋竹山~津軽三味線』を聴いた。

初代が言わんとしたことが、少しばかりわかったような気がした。

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